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大分のニュース
5月11日(月) のニュース
2026年5月11日(月) 19:08
「あの姿は父」戦時映像に大分市出身男性の姿 豊の国宇佐市塾が解析した映像公開
戦争の記録を後世に残そうと、宇佐市の団体が公開した映像に、大分市出身の男性が映っていることが分かりました。
こちらは、1944年にフィリピン沖で撮影された映像です。
旧日本軍の艦上戦闘機、いわゆる「ゼロ戦」がアメリカ軍の戦艦を攻撃し、大きな炎と煙が上がっています。
この映像を公開したのは、宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」です。
■豊の国宇佐市塾 織田祐輔さん:
「戦後今年で81年を迎えて、あの当時の証言ができる人が本当に少なくなっている。本で読んだとしても、状況を思い浮かべることは難しいと思う」
団体では、戦争の記録を後世に残そうと、アメリカ軍が撮影した戦時中の映像を取り寄せ、解析を続けています。
今回、新たに公開された14本の映像の中には、大分にゆかりのあるものもありました。
こちらのカラー映像は、1945年3月、九州南方の海域で撮影されたものです。
アメリカ軍の攻撃を受け、炎を上げながら飛ぶ特攻機が映っています。
この機体を操縦していたのは、宇佐海軍航空隊の卒業生だったということです。
公開された映像の多くは、アメリカ軍が撮影したものですが、今回は日本側が撮影したとみられる貴重な映像も含まれていました。
■豊の国宇佐市塾 織田祐輔さん:
「日本側がとった映像もあるのでかなり珍しいんじゃないかなと」
こちらは、ソロモン諸島のガダルカナル島へ向かう日本軍機から撮影された映像です。
この機体はその後、攻撃を受けて墜落し、搭乗していた2人が死亡しました。
しかし、アメリカ軍が墜落した機体から2本のフィルムを回収し、保存していたということです。
さらに、この映像には、出撃前に整列する日本兵の姿が映っていて、その中に大分市出身の男性がいることが分かりました。
今年で戦後81年。当時を知る人が年々少なくなる中、アメリカから取り寄せた映像を公開し、戦争の記録を後世に残そうと活動を続けているのが、宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」です。
15年前から取り組みを始め、これまでに取り寄せた映像は350本以上。
長さにすると、およそ53時間に上ります。
日本に残る資料と照らし合わせたり、時には直接アメリカに渡って調査を行ったりしながら解析を進めていますが、これまでに公開できたのは、およそ10時間分。
公開までに10年以上かかるケースもあるなど、非常に根気のいる作業だということです。
織田さんは、当時の証言や資料、写真などを積み重ねて初めて伝わることも、映像は一瞬で伝える力があると話します。
今後も映像の分析と公開を続けたいとしています。
そして今回公開された14本の映像の中には、大分市出身の男性が映る貴重な映像もありました。
こちらは、1943年4月、パプアニューギニアの航空基地で撮影された映像です。
出撃前の様子が映されていますが、この中に立っている人物が、大分市出身の松浪清さんです。
松浪さんは出撃で負傷しながらも生還し、戦後、当時の体験を本にまとめました。
その記録と映像を照らし合わせたことで、この人物が松浪さんだと判明したということです。
そして松浪さんの次女で、現在大分市に住む72歳の堀端優子さんは、「映像を見るのは初めて。あの立ち姿は間違いなく父です。複雑な気持ちだが、公開してくれてうれしい」と話していました。
そして宇佐市では今週土曜日、「宇佐航空隊平和ウォーク」が開かれます。
柳ヶ浦高校を出発し、およそ6キロにわたって戦争遺構を巡りながら、当時の歴史を学ぶイベントで、今回公開された映像も一般公開されるということです。
こちらは、1944年にフィリピン沖で撮影された映像です。
旧日本軍の艦上戦闘機、いわゆる「ゼロ戦」がアメリカ軍の戦艦を攻撃し、大きな炎と煙が上がっています。
この映像を公開したのは、宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」です。
■豊の国宇佐市塾 織田祐輔さん:
「戦後今年で81年を迎えて、あの当時の証言ができる人が本当に少なくなっている。本で読んだとしても、状況を思い浮かべることは難しいと思う」
団体では、戦争の記録を後世に残そうと、アメリカ軍が撮影した戦時中の映像を取り寄せ、解析を続けています。
今回、新たに公開された14本の映像の中には、大分にゆかりのあるものもありました。
こちらのカラー映像は、1945年3月、九州南方の海域で撮影されたものです。
アメリカ軍の攻撃を受け、炎を上げながら飛ぶ特攻機が映っています。
この機体を操縦していたのは、宇佐海軍航空隊の卒業生だったということです。
公開された映像の多くは、アメリカ軍が撮影したものですが、今回は日本側が撮影したとみられる貴重な映像も含まれていました。
■豊の国宇佐市塾 織田祐輔さん:
「日本側がとった映像もあるのでかなり珍しいんじゃないかなと」
こちらは、ソロモン諸島のガダルカナル島へ向かう日本軍機から撮影された映像です。
この機体はその後、攻撃を受けて墜落し、搭乗していた2人が死亡しました。
しかし、アメリカ軍が墜落した機体から2本のフィルムを回収し、保存していたということです。
さらに、この映像には、出撃前に整列する日本兵の姿が映っていて、その中に大分市出身の男性がいることが分かりました。
今年で戦後81年。当時を知る人が年々少なくなる中、アメリカから取り寄せた映像を公開し、戦争の記録を後世に残そうと活動を続けているのが、宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」です。
15年前から取り組みを始め、これまでに取り寄せた映像は350本以上。
長さにすると、およそ53時間に上ります。
日本に残る資料と照らし合わせたり、時には直接アメリカに渡って調査を行ったりしながら解析を進めていますが、これまでに公開できたのは、およそ10時間分。
公開までに10年以上かかるケースもあるなど、非常に根気のいる作業だということです。
織田さんは、当時の証言や資料、写真などを積み重ねて初めて伝わることも、映像は一瞬で伝える力があると話します。
今後も映像の分析と公開を続けたいとしています。
そして今回公開された14本の映像の中には、大分市出身の男性が映る貴重な映像もありました。
こちらは、1943年4月、パプアニューギニアの航空基地で撮影された映像です。
出撃前の様子が映されていますが、この中に立っている人物が、大分市出身の松浪清さんです。
松浪さんは出撃で負傷しながらも生還し、戦後、当時の体験を本にまとめました。
その記録と映像を照らし合わせたことで、この人物が松浪さんだと判明したということです。
そして松浪さんの次女で、現在大分市に住む72歳の堀端優子さんは、「映像を見るのは初めて。あの立ち姿は間違いなく父です。複雑な気持ちだが、公開してくれてうれしい」と話していました。
そして宇佐市では今週土曜日、「宇佐航空隊平和ウォーク」が開かれます。
柳ヶ浦高校を出発し、およそ6キロにわたって戦争遺構を巡りながら、当時の歴史を学ぶイベントで、今回公開された映像も一般公開されるということです。


