19:00 更新
100年以上前、大分市中心部に皇族によって植えられた松の木が姿を消しました。
見守った人からは悲しみの声も聞かれました。
江藤アナウンサー
「午後10時を過ぎたところです。3車線のうち1つの車線が規制されました。高所作業車も動き出していてこれからゆっくりと時間をかけて作業が行われます」
大きなチェーンソーの音とともに次々に切り落とされていく木の枝。
この松の木は、1922年、当時、日本赤十字社の総裁だった閑院宮載仁親王が県支部の建物があった大分市高砂町に植えたものです。
その後建物は移転しましたが松の木だけは路上に残り、地域の人々に愛されてきました。
見に来た人
「保育園の時に毎日通っていた。寂しいですね。歴史のある木だから」
しかし2023年11月、葉の一部が変色しているのが見つかり、その後の樹木医の診断でマツクイムシの被害を受けていることが判明。やむなく伐採することになりました。
日本赤十字社県支部 光成大さん
「100年以上の歴史があり赤十字の先輩たちがいろんな思いを持っていた非常に寂しいというか残念」
午後10時に始まった伐採作業。
現場には、その様子をじっと見つめる女性が。
元々、大分赤十字病院で看護師をしていた、秋吉信子さんです。
県支部の建物が移転したあとも歴史を記した看板を立てるなど、木を守り続けてきました。
秋吉信子さん
「もう言葉が出ない。この松を残すために頑張ってきた。見届けないと。先輩の思いもあるので」
午前2時。
102年にわたって大分の中心部を見守ってきた松の木は惜しまれながら姿を消しました。
長年愛された松の木。
その歴史と、伐採の原因となったマツクイムシの脅威を解説します。
まず今回伐採された松の木、歴史のある木でした。
102年前に日本赤十字社の県支部を訪れた皇族が植えたもので、戦時中の空襲時にも焼失を免れました。
戦時中に看護師が残した手記にも、「月明かりの中、焼け残った松の梢を見つけ急に元気が出てきた。父・母の木と呼びたい」と残されているそうです。
こうした大切な木を奪う原因となったのが「松くい虫」です。
ただ、実は松くい虫という名前の虫はいないんです。
正体は、「マツノザイセンチュウ」という体長1ミリにも満たない線虫です。
この線虫が木の中で増殖して悪さをするんですが、単体では移動できません。
そこで、運び屋の役目をするのが「マツノマダラカミキリ」なんです。
体長3センチ程度のこのカミキリムシ自身も松の皮をかじって食べるのですが、さきほどのマツノザイセンチュウが体にくっついて松の木に移動し、侵入。
松の水分や養分が通る管で繁殖するため木が枯れる。
こういったメカニズムで、木を枯らすサイクルが松くい虫と呼ばれています。
退治するという方法はなかったんですか?
松くい虫の被害を一度受けると治すすべが無く他の木に影響するため伐採するしかないんです。
今回の松の木はなぜ被害に遭ったのでしょうか。
そもそも松くい虫被害は、主に松林などの木が密集した場所で発生しやすいものです。
一方で今回の松の木は街中でしかも1本だけでした。
理由について樹木医の小野さんに聞くと、「マツノマダラカミキリは500m~1キロ飛ぶと言われる近辺から飛んできたのでは」ということです。
また、松くい虫による伐採は過去にもありまして、2010年に大分城址公園の樹齢60年のクロマツが伐採されています。
こうした過去もありますから、樹木医の小野さんは、「大分城址公園の近くにある十数本の松の木も危険。被害に遭わないように対策した方がいい」としています。
日本では昔から親しまれている雰囲気のある木ですし、特に観光地では景観を守っていくために薬をかけるなど対策をしっかりと取ってほしいと思いました。