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2010.10.23放送
伊能忠敬、大分を測る~大分測量二百周年~

 江戸時代、当時としては極めて正確な日本地図を作った、伊能忠敬。今からちょうど200年前の1810年に大分の地も訪れ、測量を行っていたのです。そこで、今回は、大分市の県立先哲史料館で開かれている企画展「伊能忠敬、大分を測る」に行ってきました。

 早速会場に入ろうとすると、何やら“足あと”が。これは、伊能忠敬が測量したときの歩幅を再現したもので、約69センチ。最初は歩測で距離を測っていたんですね。驚きです!その足あとの上を歩いてみると、意外に広い。脚が長かったのかもしれませんね。

 伊能忠敬は、1745年、現在の千葉県九十九里町の有名な商家に生まれました。跡継ぎとして大きな財産を築いたそうです。そして50歳で引退し、江戸へ出て天文学を学び始めますが、勉強していくうちに疑問が生まれ、それを解く目的で1800年に測量を開始。以降16年の歳月をかけ、全国測量の旅へと出かけるのです。

 忠敬が使っていた測量道具も展示されていました。まずは、方位磁石の役割をする小方儀(しょうほうぎ)。杖の先につけて平衡を保ちながら方位を測定しました。また、間縄(けんなわ)は、距離を測る道具で、1間=1.82mごとに印がつけられていました。

 また、測量する様子を描いた絵図も。「浦島測量之図」は、船からも測量をするなどかなり大がかりなものでした。また、「夜中測量之図」は、夜に天体観測をした様子。北極星を測ることでその土地の緯度が分かるので、科学的に地図を作製したことが分かります。

 1810年、初めて大分を訪れた忠敬は、約2ヶ月半かけて県北から県南に至る海岸線の測量を実施。その時の記録があり、杵築の町役所の日記には、測量隊一行が泊まった2つの旅館が、合わせて数十万の負担を強いられたことが記されていました。

 また、一行が宿泊した部屋が残っているという、大分市神崎地区にある教尊寺を訪ねました。ここは熊本藩の飛び地で、当時はお殿様も泊まったという大きなお寺です。泊まったお部屋は何とも格式が高そうな佇まいで、柱や梁が当時の面影を残していました。

 その後、大分に4回足を運んで測量を行った忠敬。日本全国を測量し得た科学的なデータに基づき、日本地図の制作に取り掛かります。「伊能大図」には、「府内」や「鶴崎」など、私たちが見慣れた地名も記されていましたよ。

 そして目を引くのが、「伊能中図」。正本は焼けてしまってもうないのですが、こちらは正本の下図から写し取った副本。小さく針で測量線を突いて作成されてある貴重なものです。九州全図が描かれていたのですが、ここには福岡から長崎にかけてがありません。当時はまだ九州北西部を回っておらず、測量していないところは描かない、という彼のこだわりが感じられました。

 県内に測量の記念碑が建てられているところもありますよ。ぜひ巡ってみて下さいね!