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2013.03.09放送
府内の町割り

 今から約400年前に造られた、大分市の町割り。町の名前や道路には、今も当時の面影が残っています。今週は、府内藩時代に造られた大分市の町割りに迫ります。

 今回最初にやって来たのは、大分市歴史資料館。こちらには府内の町割りを描いた地図が収蔵されています。府内の町割りは、藩主竹中重利が府内城を増改築する際に整備したものです。大友宗麟の時代に築かれたものと同じく、外堀と三の丸の間に城下町が造られました。城は藩主福原直高が築きましたが、ここは荷降ろしをする場所で、落城をイメージすることから「荷揚城」に名前を変えました。お城の側には侍町があり、80人ほどの名前が連ねてありました。

 現在の大分市の地図に当時の町割りを重ね合わせてみると、こんな感じに。城を中心に造られた町割りが今も残っているのが分かります。町人が住む町の中に、「竹町」を発見!もちろん現在の竹町の場所です。中堀が現在の中央通り。外堀はコンパルホール前の通りで、今も「外堀通り」という名前が残っています。こうやって今もその当時の名残を感じられるのはとても嬉しいですよね。

 ということで、早速府内城下町を散策してみることに。最初に訪れたのは、県庁の南東にあたる、かつて「中横町」と呼ばれていた場所です。名前や細い路地は当時のままだそうです。府内城の東口へ抜ける幹線道路だったんだとか。

 さらに、その昔「米屋町」と呼ばれていたところへ。ここは「塩九升口(しょくじょうぐち)」という府内城下への入り口があったそうです。小川や橋は当時の外堀の名残で、土塁があったところは緩やかな傾斜が確認できました。外堀は10mもあったそう!

 また、江戸時代の名残が道沿いにも。商売繁盛の神様、えびす様です。大友宗麟の時代に造られた町から府内城へ移転する際、一緒に移されたとされていて、現在のサンサン通りから大手町にかけて6体が祀られていました。

 そのうちの1体が、トキハ本店の屋上にあるんです!昭和49年に大分バスとトキハが共同ビルを建てる際、敷地内にあったえびす様を屋上に移して祀ったとのこと。今でも毎年1月10日に氏子が集まって大祭をするそうで、縁起の良い神様として知られてきました。

 江戸時代の府内の町割りが今も息づく大分市。現在、昔の町名を知ってもらおうと、5年前からプレートや案内板を設置する取り組みが行われています。年配の方からは「懐かしい」という声が上がっているそうで、子ども達とこのプレートを通して交流が広がったんだとか。

 皆さんも宝探し気分で散策しながら、「土地の記憶」を訪ね歩いてみてはいかがですか?