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2013.02.02放送
松平忠直と府内藩主

 徳川家康の孫であり、「一伯(いっぱく)」の名で知られる、松平忠直。暴君と化したものの次第に信仰に目覚め、人々に慕われました。今週は、松平忠直と、彼に関わりのあった府内藩主に迫ります。

 福井藩主を務めた大名・松平忠直。大阪夏の陣で活躍し武将としての地位を上げたものの十分な見返りが得られず、妻・勝姫(秀忠の妹)に文句を言ったところ不仲となってしまいました。それ以降、酒色や乱行が目立つようになり、ついには江戸への参勤交代も怠り、1623年、豊後へ移り住むよう幕府に命じられました。


 最初は大分市萩原で生活を始めますが、愛妾であるお蘭とその娘・おくせを相次いで亡くし、途方に暮れてしまいます。その後、津守に移り、傷心の日々を送る中、忠直は信仰に目覚めていきました。津守にある熊野神社には、彼が寄進した貴重な品々が残されています。熊野権現縁起絵巻は全13巻あり、信仰と人間の生き方を色鮮やかに描いた巻き物です。他にも、刀や鏡などがあるそうです。

 豊後に流されたとはいえ、5千石の領地を与えられていた忠直。そんな忠直を監視するよう命じられたのが、府内藩の初代藩主・竹中重利であり、府内目付でした。重利は、当時荷揚城と呼ばれていたここの城主になり、城下町を本格的に整備。忠直については番所を設け、24時間体制で監視しました。

 竹中氏が失脚した後、府内藩主となった日根野吉明も、忠直の監視を任されました。大分市の円寿寺には、吉明のお墓が今も残されています。吉明は滋賀県で生まれ、徳川家光から大分へ行くようにと命じられました。由布市挾間町から大分市内へと続く初瀬井路を開削し、人々から慕われた藩主です。


その初瀬井路は県内でも古い歴史を持ち、今も現役の井路として周辺の田畑を潤しています。16キロの距離を9万3000人が46日間かけて働き、完成させました。しかし、この初瀬井路は谷と谷の間に水路を通すため、何度も決壊。そんな時、人柱を立てたらいいというお告げがあり、その容姿にピッタリだった「お初」という女が選ばれました。悲しいお話なのですが、それ以来決壊はなくなり、人々はお初を讃えてこの井路を「初瀬井路」と呼ぶようになりました。

 府内藩主の監視のもと信仰を深め、やがて地域の人々に慕われる存在となった忠直。残された人生を豊後の地で過ごすことに決めたのでした。大分市の浄土寺には、忠直と彼が愛した2人のお墓があります。「一伯」という名は、出家して全てまっさらな状態になりたいという思いが込められていたのかもしれません。


 没後360年以上経った今も、彼の面影は大分の人々の心に深く刻まれています。