「私はまた旅に出た、おろかな旅人として放浪するより外に 私の生き方はないのだ」
不運な人生に翻弄された悲しみと共に旅を続けた俳人・
種田山頭火(たねださんとうか)。生涯で1万を超える俳句を残したという山頭火が歩いた豊後路を、
別府大学名誉教授の倉田紘文(くらたこうぶん)先生と、2回に渡って辿っていきます。
昭和5年9月に熊本を出発した山頭火は、その2ヵ月後の11月4日に佐伯市の重岡駅に降り立ちます。その後、三国峠を越え、豊後大野市三重町を経由しながら、緒方町へと向かいました。
行乞(お経を唱えて行脚しお布施をもらう)をしながら旅先で出会った自然などを俳句に綴った山頭火。緒方では、
「犬が尾をふる柿がうれている」や、
「筧あふるる水に住む人なし」など、ユニークな作品を残しています。私も倉田先生に習って一句作りましたよ♪
また、山頭火の心を捕らえたのが、お酒。旅先の造り酒屋を訪れては、一杯飲むことが多かったそうです。11歳のときに母親が自殺した姿を目の当たりにしたり、営んでいた造り酒屋が破産し、父と弟も亡くなるなど、辛い過去を背負って生きていた山頭火。お酒を飲まずにはいられなかったのでしょうか。
悲しみをこらえながら、山頭火の旅は続きます。竹田市の朝日屋という旅館に宿泊した際には、強い望郷の念にかられます。そこのベランダからは、汽車の通る音が聞こえます。山頭火は具体的な地名を出さず
「K駅」としていますが、恐らく妻や子どもがいる
熊本駅に続く豊肥線に本当は乗って帰りたいのだという苦しい胸のうちを句にしたためています。
「雨だれの音も年とった」
「酔ひざめの水をさがすや竹田の宿で」