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2008年12月
12月27日
おおいたの祭り〜ひょうたん祭り〜」
 豊後大野市千歳町の柴山八幡社(しばやまはちまんしゃ)800年前から伝わる「ひょうたん祭り」。県の選択無形民俗文化財に指定されているこのお祭りは、毎年12月の第一日曜日に行われ、「霜月祭」とも呼ばれています。

 笑いを誘う独特な恰好をしたひょうたん様によってお神酒が振舞われるその珍しい祭りの始まりは、800年ほど前に宇佐八幡の分霊を八幡社に移して祀った際、益永豊武(ますながとよたけ)という豪族がひょうたんにお酒をつめ、流鏑馬や獅子舞を奉納したことに由来していると言われています。

 祭りを取り仕切る大切な役割を担うのが、「座元(ざもと)。座元は、氏子である柴山地区と高畑地区の11の組が順番に受け持つことになっていて、当番の組の中から一戸が選ばれます。ワラジやしめ縄作りなどのほかにも、神馬に乗ってひょうたん様のお伴をする清者様(しょうじゃさま)を出迎えるなど、祭りが始まる前から座元は大忙しなんです。

 また、家の中では、祭りの中心となるひょうたん様の準備も進められていました。目の覚めるような赤い衣装に身をまとい、あたまに「ひょうたん」をかぶります。これが結構重いそうで、バランスを取るのが難しいんだとか。わらじは長さ1.2メートル、重さが8キロ。今年は特に重いのが出来たそうです。今回ひょうたん様に扮する尾石さんは、一生に一度回って来るか来ないかの大役にとても誇りを感じると話していました。
 準備が整い、神事が行われると、出発前に宴会が開かれます。座元が用意した料理を頂いたあと、いよいよひょうたん様は、やっとの思いで大きなわらじを履き、座元の家を出発します。みんなで掛け声をかけながら、ゆっくりゆっくり前進します。片方のわらじを大の男達がそれぞれ5人ずつほどついて持ち上げなければ、とても歩けないほどです。

 多くの見物客に囲まれながら、ひょうたん様は柴山八幡社の休憩所へと向かいます。その後、神社で神輿と合流。鳥居の前で獅子舞が披露されます。そして、沿道の人々にお神酒を振る舞いながら、ゆっくりとまた歩いていきます。重いワラジを履き、自らもお神酒を飲みながら歩くため、思うように動けなくなるひょうたん様、そのユーモラスな姿は、見ている人の笑いを誘います。

 私も早速ひょうたん様にお神酒をいただきました♪このお神酒をいただくと、無病息災のご利益があるそうです。寒い冬も、これで風邪の心配なし!そのあと、なぜか「子宝に恵まれますよ」とも言われました…(笑)。

 およそ2時間かけて、ようやく御幸所(みゆきどころ)に到着したひょうたん様。ワラジを脱いで、務めを無事果たした尾石さんは、安堵の表情を浮かべていました。

 祭りでは、その伝統の重みと祭りにかける人々の熱意も感じることができました。
12月20日
江戸の旅〜出張・祈り・観光・湯治〜
 宇佐市にある県立歴史博物館では、現在面白い企画展が開かれています。その名も、「江戸の旅」。江戸時代の人々がどのように旅をしたのかを、旅人の記録を通して紹介するというものなんです。先人が残した記録や資料から、江戸時代の旅行が味わえる展覧会です!出張や祈り、観光、湯治など、様々な理由で旅に出た江戸時代の人々。交通手段が乏しい時代に、どのようにして旅をしたのか見ていきましょう。

 まずは、必須アイテムから。「船箪笥」という持ち運びできる小さな引き出しのついたたんすです。万一のときは浮き袋にもなるという優れもの。その他にも、天秤や往来手形など、目的に応じて様々な道具を携えたそうです。

 江戸時代の税金、年貢を納めるために江戸や大阪まで出張した、「上乗人(うわのりにん)と呼ばれる農民がいました。幕府からの命令に基づき、身体が丈夫で誠実な人が選ばれ、船の監視役として無事年貢が届けられるまで見届けるというのが仕事です。
 現在の中津市山国町の上乗人だった富右衛門(とみえもん)という人物が記した旅の記録が残されていました。「火や水気に気をつけるように」「港でいばらないように」など、8か条からなる船での決まりもあったようです。日記によると、上乗請証文(うわのりうけしょうもん)に署名した後、1月13日に江戸へ向けて出港。瀬戸内海を横切りながら兵庫を目指します。航路図では、赤い線で示してありました。船には15人が乗っていて、四国を通りがかった際、「金比羅参りがしたい」という船乗りがいましたが、責任感の強い富右衛門は、「米を届けるのが先だ」と主張し、船内でもめたことも克明に記されていました。

 兵庫で食糧を補給後、太平洋を航海しながら江戸へと進んだ一行。伊勢の沖で強い逆風に見舞われ、一度陸へと引き返す場面もありましたが、2月18日についに品川に到着。年貢米を積み下ろし、浅草の御倉(おくら)まで運ぶ作業に追われます。そのとき、目に入ってきたのは、富士山!残雪が氷のように透き通って見えたと記していた富右衛門、その感動ぶりが伝わってきます。
 旅の途中で濡れた米は捨て、米俵を作り替えて、無事年貢を納めた富右衛門。帰国の許可が出るまで、浅草寺や泉岳寺など、江戸見物を楽しみます。帰国が許されると、今度は徒歩で中山道を通って京都へ着きます。京都では、西本願寺を訪れて法名をもらったり、お土産を買うなど、短い時間で観光を楽しんだようです。

 その後、淀川を下って大阪を訪れ、中津行きの船が出港するまで、四天王寺や大阪天満宮などをめぐりました。そして4月23日に、船に乗った富右衛門は、瀬戸内海を通り、その6日後の29日に無事に中津に到着します。100日を超える、大掛かりな旅でした。

 江戸時代に旅した気分になれる企画展、ぜひ足を運んでみてください♪
12月13日
山頭火の歩いた路〜湯平・耶馬溪・中津〜
 不運な人生に翻弄された悲しみとともに、俳句を詠みながら旅を続けた俳人、種田山頭火が辿った豊後路を歩くシリーズの後編。今回も、別府大学名誉教授倉田紘文先生とともに俳句を作りながら旅します!

 前編の足跡をちょっと振り返りましょう。昭和5年11月に大分県を訪れた山頭火は、佐伯市宇目から入り、豊後大野市緒方町、竹田市を経由して、長湯温泉で疲れを癒します。大分の自然や水、酒、温泉を堪能しながら、五七五に捉われない「自由詩」で多くの句を作りました。

 秋も深まった11月10日、山頭火は山々に囲まれた閑静な温泉場、由布市の湯平温泉を訪れます。「ここの湯は熱くて豊かだ、浴して気持ちよく、飲んでもうまい」と日記に記しています。中でも気に入ったのが、湯平温泉のお湯。一体どんな味がするのか、飲んでみました。とてもまろやかで、スッと体にしみ渡るような、飲みやすいお湯でしたよ。

 山頭火はしばらく宿に滞在していましたが、ある日、洗濯物を外に干していて、雨が降ってきたのに気がつかなかったことがありました。すると、宿の娘さんが気を利かせて取り込んでくれていたのです。思わず「しぐるるや 人のなさけに涙ぐむ」と、感動を詠んでいます。湯平では、身体だけでなく、心も温まったようですね。湯平温泉では、山頭火の俳句を宿の軒先に展示するイベントが毎年11月に開かれています。

 その後、九重町と玖珠町を経由して耶馬渓へと向かいました。その絶景に感動して、「山の紅葉へ胸いっぱいの声」などいくつも句を残しました。私も山頭火の真似をして、一句作りましたよ♪

「裸枝 紅葉風舞う 耶馬溪路」
 どうでしょうか??

 最後に中津へと急いだ山頭火。俳句仲間であった松垣昧々(まつがきまいまい)木村宇平(きむらうへい)に会うためです。松垣邸には、山頭火が「昧々居」としたためた書が今も残っています。

 2人との再会を喜び、山頭火は句会を開きます。その句会が開かれたのが、明治34年創業の「筑紫亭」。ふぐ料理に舌鼓を打ちながら、大いに盛り上がったそうです。私たちもちょっとおいしい思いをしながら(!)、一句作りました。

 「朝酒は勿体ないと思ったけれど、見た以上は飲まずにはいられない私である、ほろほろ酔うてお暇する、いつまたあわれるか、それは分からない、今日ここで顔と顔を合わせてる。人生はこれだけだ、これだけでよろしい

 山頭火は日記にこう記し、再び孤独な旅を続けるため、中津を後にしました。
12月6日
山頭火の歩いた路〜緒方・竹田・長湯〜
 「私はまた旅に出た、おろかな旅人として放浪するより外に 私の生き方はないのだ」

 不運な人生に翻弄された悲しみと共に旅を続けた俳人・種田山頭火(たねださんとうか)。生涯で1万を超える俳句を残したという山頭火が歩いた豊後路を、別府大学名誉教授倉田紘文(くらたこうぶん)先生と、2回に渡って辿っていきます。

 昭和5年9月に熊本を出発した山頭火は、その2ヵ月後の11月4日に佐伯市の重岡駅に降り立ちます。その後、三国峠を越え、豊後大野市三重町を経由しながら、緒方町へと向かいました。

 行乞(お経を唱えて行脚しお布施をもらう)をしながら旅先で出会った自然などを俳句に綴った山頭火。緒方では、「犬が尾をふる柿がうれている」や、「筧あふるる水に住む人なし」など、ユニークな作品を残しています。私も倉田先生に習って一句作りましたよ♪

 また、山頭火の心を捕らえたのが、お酒。旅先の造り酒屋を訪れては、一杯飲むことが多かったそうです。11歳のときに母親が自殺した姿を目の当たりにしたり、営んでいた造り酒屋が破産し、父と弟も亡くなるなど、辛い過去を背負って生きていた山頭火。お酒を飲まずにはいられなかったのでしょうか。

 悲しみをこらえながら、山頭火の旅は続きます。竹田市の朝日屋という旅館に宿泊した際には、強い望郷の念にかられます。そこのベランダからは、汽車の通る音が聞こえます。山頭火は具体的な地名を出さず「K駅」としていますが、恐らく妻や子どもがいる熊本駅に続く豊肥線に本当は乗って帰りたいのだという苦しい胸のうちを句にしたためています。

「雨だれの音も年とった」
「酔ひざめの水をさがすや竹田の宿で」

 竹田市には、「山頭火・秋山巌版画館」があります。山頭火が詠んだ俳句をモチーフに、地元出身の版画家・秋山巌(いわお)さんが作った作品が展示されています。どこか物寂しいけれど、温かい人情が伝わってくる版画です。

 そして、山頭火がとても気に入ったという長湯温泉へ。まずは、炭酸ガスを豊富に含んだその温泉を飲んでみると…鉄の味が濃く、胃にピリピリと刺激が走る強烈なインパクトのあるお湯でした(涙)。今回私は入れませんでしたが、山頭火は温泉も満喫したようで、その感動を、「あかつきの湯が私一人をあたためてくれる」と詠んでいます。その他にも、滞在中に、全部で26もの句を残しているそうです。

 ということで、私も再び俳句作りに挑戦!

「炭酸水 浸かるは長湯 飲むは長寿」

旅で感じたことを俳句に詠む。その面白さが、次第に分かってきました。

 また山頭火は、「歩々到着」という言葉も残しています。一歩一歩、着いたところが到着点なんだという意味がこめられています。足跡を辿る旅は、来週も続きます☆
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